真白な
飛行機雲の隙間から
朝日が輝く
1 2 3 4 5

全部見る

真白な飛行機雲の隙間から朝日が輝く


 突抜けるような雲一つない青空を一機の軍用機が耳を劈くような轟音と共に空を駆抜ける。何処までも続く金網と鉄条網。刺すように太陽が照りつけて汗が止めどなく流れ出す。そんな暑すぎる真夏のある日俺は米軍基地のフープで3on3をしている兵隊達を金網越しにぼんやりと眺めていた。あの時の俺が余程間の抜けた顔だったのか軍服姿の黒人の兵隊がバスケットボールを弄ぶようにボールハンドリングしながら俺の方へ近付いて来た。「そんな所で見てないでこっち来いよ。おまえも一緒にやろうぜ!」その兵士が軽薄に笑いながらからかうようにふざけた態度で話掛けて来た。「こんな低い金網でも俺には越えることは出来ねぇ…。偶偶産まれた国が昔戦争で負けただけなのにな。」無表情で答える俺を一瞬訝し気に見て兵隊は臆する事なく話題を変えた。「何で見てたんだ?好きなのか?バスケット。」真直ぐに俺の目を見ながら聞いてきた。「別に…楽しそうだなって思って見てただけだ。」俺は面倒臭くて適当に答えた。「楽しくなんかないさ他にする事がねぇんだよ。体を鍛える以外何もな…。」吐き捨てるように言って笑う兵隊を俺は無表情のまま見ていた。「何の為に体を鍛えてるんだ?戦争もない平和な日本のこんな田舎町でさ。」俺がそう皮肉るとその兵隊が静かに笑う。「お前が思ってる程この国も平和じゃないんだぜ。」意味深にそう言うと真剣な表情で真直ぐに俺の目を見る。「お前はまだ知らないだけでこの街も裏側は危ないんだぜ。見たくないか?」唇の端でにやりと笑いバスケットボールを上に投げた。「第二ゲートの前で待ってろよ。何処の国で産まれたって越えられない金網なんかないぜ。」弧を描いて金網を越えたボールを俺は両手で確り受止めた。  基地の回りを取囲む金網に沿って歩き第二ゲートに着くとあの兵隊が入口に常駐している兵士と楽し気に笑い合って話していた。「遅かったな。待ってたぜ。」俺に気付いて近くまで来て右手を差出した。「もう俺達の間に忌忌しい金網はない。簡単だろ?兄弟!」俺がその手を握り握手すると兵隊は無邪気に笑いながら俺の肩を叩き、話をしていた兵士に紹介した。「俺の兄弟だ。いつでも入れるように他の奴等にも言っとけニック。いいな?」敬礼しておどけて笑い基地へ入る。俺も敬礼してみると兵士は爽やかに笑い返礼した。歩いていた兵隊が不意に振返る。「俺はエリックエリック・テイラー見ての通り軍人だ。おまえの番だぜ兄弟。」エリックは両手で俺を指差して笑った。俺は少し考えてから名乗った。「大浦夏。」「ナツか、若く見えるけど年は?」エリックは踊っているみたいに見える特徴のある歩き方でリズミカルに歩く。「14、14歳だ。」くるくる指先でボールを回しながら平然と答えた俺をエリックは驚いて見た。「14歳だって?14にしてはちゃんとした英語を話すな?本国に住んでいたことが在るのか?」エリックは俺の答えを推量って期待して聞耳を立てる。「まさか、俺は産まれてから今までずっとこの街しか知らないし、英語位今時小学生だって話すぜ。」俺は適当な答えではぐらかした。エリックは基地の中を案内しながら恐らく米軍にとって最重要機密だとしか思えないような内部事情を殊更面白可笑しく脚色して俺に話した。「基地に入ったのは初めてか?ナツ。」煙草を口の端に銜えて深々と煙を吸込みながら眩しそうに空を見上げてエリックが微笑む。「あぁ、お祭りの時しか入った事ないな…だからこんなに中の色んな所入ったのは初めてだ。」今正に飛立とうとしてる巨大な軍用機を眺めながら俺は無表情でつっけんどんに答えた。「越えられなかった金網を飛び越え知らなかった基地の中を実際に目で見て、どうだ、ナツ?何もないだろう?ふっ…。基地に在るのは人殺しの道具と運動場だけだ…何故俺達が3on3なんかやってたかわかっただろ?何の為に金網で仕切って此処だけ合衆国にする必要があるのか俺にはさっぱりわからないけどな。」エリックは煙を吐出して笑う。それを俺は横目で見ていた。「俺は、基地の在る街って好きだけどな…。」いつの間にか太陽が西に傾いている。飛行機が大空に羽撃く羽音が空気を小刻みに震撼させて耳鳴のように直接脳に響渡る。鋼鉄製の飛行機が空を駆巡るように遠ざかっていくに随って耳障りな音波も次第にフェードアウトしていった。「そう言ってくれると救われるよ。」エリックが静かに笑う。「基地じゃないんだろ?この街の裏側って。」金髪の少し長い髪を掻上げながら真赤に染まった太陽を遠くに見据えて不躾に俺は問糺した。「あぁ。俺は今夜街に出る。付き合えるか?」夕日に照らされて真赤な光に包まれた俺は黙ったまま只静かに頷いた。「駅前に10時に来いよ。じゃあな、ナツ。」俺とエリックは固い握手を交わして別れた。あんなに溢れ出すように滾々と掻いていた汗は夕暮の生暖かい風に吹かれて悉く乾ききって,心も体も枯渇していた。
戻る
目次

 すっかり夜の闇に包まれて昼間とは違った表情を見せる駅前で俺はエリックを待っていた。酔払って足元も覚束無い会社員の中年男性の集団、塾が終わって帰る途中に少し寄道して友達同士で夢中で話込む制服姿の中学生の女の子達。大きいサイズの服を不体裁に着崩して竦み上がる歩行者を尻目に空嘯いてスケートボードの技に磨きをかけるのに忙しい高校生位の歳の野郎共。街を行交う人々に広告を撒散らして甘美い遊惰が地獄へと転落させる誘因の罠だって事に気付かずに浅はかに悪風の片棒を担ぐキャッチの女達。昼間の猛暑の最中過酷な軍事訓練に耐えた強靭な肉体の労を労う為に次々と夜の街へと消えて行くまだまだ体力は有余る基地の外国人兵士達。たった数時間時が経過しただけなのに街は全く変わって見える。市街地は夜になると行き来する人間だけじゃなく景色まで変わって見える。昨日の夜とも明日の夜とも違う今日の今夜だけの今その瞬間瞬間に移変る街の風景を放心状態で眺めていると不思議と退屈しなかった。俺はエリックの事が頭から離れず考えていた。思慮深く昼間の事を思い返してみる。俺は名前しか本人の口からは聞いていない。外見で明確に判断出来る事以外は総てが謎に包まれた藪の中だ。年齢は?家族は?結婚してるのか?趣味、特技、性格は?まるで想像つかないしまるで出鱈目な想像もつく。当然だ、知らないんだからな。わかる事から整理しよう基地の軍に所属してるんだから国籍はアメリカ合衆国、英語の訛から見てカリフォルニア州、まぁロサンゼルスって所だな。肌の色から見ると大分黒人の血が残ってるけど何代も前に移住した生粋に近いアメリカンだろう。顔立ちも整ってて頭もキレそうだったから育ちが良い、良家の出かも知れないな。血液型は逆に性格から見て九分九厘A型だ。間違いないな。今日基地の中を案内していた時の様子だと軍人としての階級は結構な高さに見えた。欠点らしい欠点はなさそうだった。性格が拗け曲る要素は見つからない。そんな男が何故俺みたいな餓鬼を?俺の秘密を知ってた?からかわれてるのか?何か裏が在るのか?俺は今手の内に存在るだけの情報を最大限酷使して徹底的に分析、考察したけれど釈明出来なかった。絶対的な資料不足で明らかな情報が無かった。「幾ら考えたって、仕様がないさ…。はっははっ。」ロータリーのガードレールに座ったまま頭を左右に何度も振る。髪を両手で掻上げながら顔を上げた。自分自身に言聞かせるように呟いてるのが馬鹿らしくなって俺は一人で明透に笑った。その時その場に居た沢山の人々が一人で大笑いする俺を遠巻きに怪訝な顔で見ていた。俺は一人一人と目が合う度に不敵な顔で明透に笑い掛ける。慌てて目を逸らしたり引攣った作り笑いで笑い返してみたり真顔で見てたり怒って睨み付けたり各々が雑多な反応をしてくれて飽きる事がなかった。本気で怒っている高校生を満面の笑みでにっこり見詰て玩弄のように愚弄して遊んでいた時。「ナーツッ!!」不慮に大きい叫び声に吃驚して振返るとロータリーの彼方にエリックの姿が見て取れた。途端にさっきの高校生が脱兎の如く逃出した。呆気に取られる俺を尻目に高校生は全力疾走で瞬く間に見えなくなった。余にも憐れで俺は苦々しく苦笑した。「おまたせ、ナツ。待ったか?」背後からエリックの声が聞こえて俺はすぐ表情を殺して無表情で振返る。「別に。さっき来たばっかだ。」俺はエリックと握手する。良く見ると無邪気にニヤニヤ笑うエリックの後で二人の女が出抜けに俺の容姿や服装とかの外観を審査するようにふしだらに笑いながら明ら様にじろじろと俺の顔や身体を舐め回すように眺めていた。無表情で冷やかな視線で見る俺と目が合っても少しも気にする様子もなく目を輝かせて臆面なく笑い掛けてきて二人で耳打ちしては俺を好き勝手に批評している。「何だよ?こいつ等。ジロジロ他人の事見やがってよ。何なんだよ?エリック。」俺は流暢な英語でエリックを問詰めた。「オーウ、紹介が遅れました。髪の毛が長いのがユウカ。短い方がリエです。」エリックが大袈裟に忘れてたとゆうように頭を左右に振ってから片言の日本語で二人の女を紹介する。「何それぇ?そんな紹介の仕方があるぅ?私とユウカの事髪が長いか短いかそれだけで見分けてたんじゃないでしょうね?エ、リ、ッ、ク?」銀色のメッシュの入ったショートボブの髪を花の飾りが付いたピンで止めて真黒に日焼けしたおでこを出している気の強そうな感じの上原理恵が腕組みしてエリックに詰寄る。「そんな事ないです。ナツにわかり易いです。その方が。」そう言って誤魔化すエリックとリエの間に俺は割って入った。「おい、エリック!何なんだよ?その片言の日本語は。ふざけてんのかよ?」「ふざけてる訳じゃないさ。この女達は英語なんか出来ないからだよ。ナツも今夜は日本語で話すんだ。」エリックがにやっと笑ってウィンクする。
戻る
目次

 「もぉう、二人だけで何を話してんの?」リエと同じように真黒に焼けた肌に下着みたいなキャミソールを着て背中まである長い金髪を掻き上げながら、土屋優香が俺の顔を覗き込む。「ナツは日本語喋れないの?おーいナツ君、日本語わぁかぁるぅ?」ユウカのマイペースな感じが可笑しくて俺は馬鹿にするように笑った。「喋れるに決まってんじゃねぇかよ。お前等より全然ちゃんとした日本語をな。見りゃわかんだろ俺が何人に見えんだよ?何処からどう見ても日本人にしか見えねぇだろ。お前等は黒すぎて土人みてぇだけど。何処の部族なんだよ?手前等?」虐げて嘲るように俺は悪態をついてリエとユウカをからかう。そしてすぐに不敵で挑発的、それなのに何故か憎めなくて愛くるしい惹きつけられるような不思議な魅力を持つあどけない顔立ちで涼し気に笑った。「怒った?ユウカと…確か…リエだったっけ?二人共可愛いとかスタイルが良いとか言われ馴れてそうだから貶してみた。悪戯心に火が点いた。可愛い女って苛めたくなんだよ捻くれてんから。さっきどうせ俺の第一次審査しながら勝手な事言ってたんだろ?そのお返しなのになんで怒んねぇんだよ畜生!何笑ってんだよ!チッ!ジャングルのどっかのまだ発見されてねぇ自分達の村に帰れよ。新種族がいたことは学者さんとかには内緒にしといてやるから。」明け透けに笑っていた俺はリエとユウカが怒り出さなかった事に舌打して投槍に言捨てた。「何土人って?もしかして鼻輪したり首にわっかつけて首伸ばしたりして喜んでる人達?超ウケル。山姥ギャルより失礼だよね?ユウカ。流行らせちゃう?」大きな声でそう言って笑いこけるリエとユウカを周りの人々は振返り煙たそうに見るけれど係わり合いたくなさそうに無関心を装って視線を落として伏目がちに俺達の横を足早に通り過ぎて行く。「俺はナツ。よろしくなリエ、ユウカ。俺は一次審査合格?」爽やかな笑みを浮べて俺は右手を差し出す。「どうする?ユウカ。見た目は全然OKだけど…性格?可愛くないよね?ナツ君。私はかっこいい男なら性格なんかどうでもいいんだけど…。」「私もOKだよ?って何の第一次審査よ?ヨロシク!ナツ君。」勿体ぶっておどけるリエとユウカと俺は握手をした。ニヤニヤと真白な歯を覗かせて無邪気に笑ってその遣り取りを見ていたエリックが俺の肩に手を回してもう片方の掌で俺の胸元をぽんぽん叩いて笑う。「これが日本に古くから伝わる『お見合い』ですか?面白い事だって知らなかったです。さぁ行くですか?そろそろ。」「何だよ!知らなかったのかよ?エリック。面白いから何回もする奴とかいんだぜお見合いって。エリックもお見合いしたかったらもう少し日本語勉強した方が良いぜ。その変な片言の日本語じゃ見合い相手に折角の冗談が伝わらないからな。日本独特の伝統的な大衆娯楽だからな見合いは。後他にも切腹って言う遊びがまた笑えるから今度やるか?」ポケットに両手を突っ込んで俺はけらけらと明け透けに高笑いして街の方へと歩き出した。「ねぇねぇ、ナツ君って歳幾つ?あっ、ちょっと待って当てるから…。18歳!当たり?当たったっしょ?」ユウカが俺を上目使いで見て笑う。「ふっざけんなよユウカ。俺そんな老けて見えるの?マジかよ?すげぇショック…まだ俺14なんだけど…嘘だろ?あり得ないよな?リエ。」俺は不満気に唇を尖らせてリエの方を見て失笑する。「14?嘘でしょ?信じらんなーい。ウチらよりも絶対上だと思ってたよね?リエ。」ユウカが驚いた顔で改めて俺を上から下まで眺めた。「14歳って事は中3…中2?一昨年までランドセルだった訳?完全にお子ちゃまじゃーん。マジ!?」リエは俺の顔を間近で見詰て首を傾げる。「マジだって…免許証でも見るか?って何の免許も取れねぇじゃん14歳だから。くっくっく。1985年4月12日生まれの牡羊座のO型。中学2年生の正真正銘14歳だよ。本人が言ってんだから間違いねぇっての。お子ちゃまで悪かったな!お、ば、さ、ん。」俺がリエの目の前に人差指を真直ぐに突出して指差しながら言って意地の悪い顔で不適にせせら笑う。リエがその指を手で払い除ける。「おばさん!?超ムカつくぅ!このクソガキ…。」「ムキになんなよ、クソガキ相手によ。もしかして気にしてた?悪気は在ったんだけどよ、なんせお子ちゃまだから正直に見たままを言っちまってよ。痛いとこ突いちゃったか?リエ。ははっはっははは。」わざとらしく嘲笑う俺をユウカが宥める。「もういいっしょ?ナツ…リエが悪気が在ってナツの事お子ちゃまって言ったんじゃないのわかってるでしょ?そんなにリエの事苛めなくていいじゃん。それよりナツとエリックはどういう関係?」ユウカがマイペースに話題を突然変えた。「誰にも言うなよ?実は…俺はエリックの隠し子なんだ…ねっ?父さん。」俺が声を顰めてユウカとリエに耳打してエリックにウィンクするとエリックは辺りをきょろきょろ見回してから真顔で頷いた。「はぁ〜…。わかったわかった。」リエとユウカは顔を見合せて呆れている。「サムイよ。つまんない嘘言ってないでお姉さんに本当の事言ってみ。ナツぅ?」リエが怒っているのがわかる作り笑いを浮かべて俺の頬をぴしゃぴしゃと掌で叩く。「友達ですよ。と、も、だ、ち。何故軍人と中学生友達いけないですか?ナツとエリック仲良しだとおかしいなんですか?」エリックがオーバーアクションで必死に不思議がってみせる。「違うよエリック。リエは俺達が友達って事に怒ってんじゃねぇんだよ。何焦ってんだよ?只でさえわかんねぇエリック式日本語が更に目茶苦茶になってるぜ。超笑えるよな?ユウカ。傍から見てるとわざとリエの事馬鹿にしてるみてぇだよな?くくっ、くっくっ…ははは。」俺はユウカを味方に引き摺り込むように同意を求めて二人で明け透けに笑い合いリエを冷やかす。リエは苦々しい顔で不貞腐れる。「何よ!あんたまで一緒になって笑うことないじゃんユウカ。」「妬いてんのかよ?リエ。俺とユウカの事。ユウカの事取られたからか?俺を取られたからか?どっちに嫉妬してんだよ?リエ。」俺はユウカの事を抱き寄せ肩に腕を回してふてぶてしく笑う。何気ないその行動にユウカは顔を赤らめてはにかんでいる。「馬鹿じゃないの?ったく最近の中坊ときたら…小生意気な奴多過ぎ。ナツ、あんたその年でエリックみたいな基地の外人達と遊んでんから老けて見えんのよ。ってゆうか餓鬼に肩抱かれて良い気持ちになってんなっつうの!ったくユウカは…。」リエが呆れたようにユウカの腕を引張る。「別に良いじゃん?何熱くなってんの?男は格好良ければ性格なんてどうでもいい?っていつも言ってんじゃん?ん?やっぱリエ妬いてるんだ?」そう言ってユウカが俺の頬に軽く唇を押付けてキスをした。エリックは面白がっているようにニヤニヤ笑って黙ったままその様子を見守っている。リエが呆れ果てたように吐き捨てる。「おいおい…中学生にキスすんなよ。ユウカ…あんた何考えてんのよ…。」
戻る
目次

 今日の昼間俺と初めて会った時のエリックは訓練の途中だったのか米軍の軍服を着ていた。今俺達を導きながら踊るような歩き方で前を歩いてるエリックは大きめのTシャツに膝丈のハーフパンツ。ハイテク系のごついスニーカーをはいてB−BOY系の服装をしている。只でさえわからない年齢が更に輪を掛けてわからなくなる。20歳位にも見えるし30歳過ぎにも見える。俺はまだ知らないエリックの真実の年。本当の顔。リエとユウカは知っているのだろうか?物事の裏側に潜む真実に気づいているのか?俺がリエとユウカと他愛もない会話をしながら頭の中で考えている内に一軒のクラブに着いた。エリックはそのクラブに顔が効くらしく俺達4人は入場料を払わずにクラブに入っていく。そのクラブの中は噎せ返るような煙草とお香の煙が部屋中に立ち込めていて妙な熱気を帯びていた。天井まで届きそうな馬鹿でかいスピーカーから硝子が割れそうな位馬鹿でかい音量でHIP−HOPが止めど無く流れ出してくる。ダンスフロアを照らす照明は薄暗くてどんな奴等がそこで踊っているのか良く見えない位だった。「ナツ!何飲む?ビール?それか甘いカクテル系かなんかの方がいい?」俺の耳元でリエが大声で怒鳴っているけどレコードの音が大きすぎて何を言ってるのかさっぱりわからず俺は首を傾げて両手を上に向けて広げた。リエは呆れ顔で溜息を吐いてから俺の手を引張ってトイレの方へと歩いて行く。そして俺をトイレの個室に押込むと改めて大声で叫んだ。「何飲むのよ?ナツ。ビールでいいの?」俺の唇に微かに触れる位まで髪を掻き上げながら自分の耳を近付けてリエは答えを待っている。トイレの中は大声で話せば何とか聞取ることが出来る状態だった。「酒なんか飲めねぇよ。酒が入ってなきゃなんだっていいよドリンクなんか。」俺は面倒臭くて適当に答えた。「またぁ、かわい子ぶってんじゃないわよ。きゃはは。」リエは喉を鳴らして外国の銘柄のビールをごくごくと飲み平手で何度も俺を引っ叩いて笑っている。「ぶってんじゃなくて飲めねぇんだよ!酒が全然。酒臭ぇんだよ、この酔っ払い女!」そう俺が罵ってもリエは次々と空の缶をトイレの床に落とす。「酒も飲めないガキんちょが生意気言ってんじゃないわよ。ナツも可愛い所あんじゃん。ほらお姉様に任せてみ。」そう言うとリエは俺の首に両手を掛けて引寄せ俺の唇に柔らかな唇を重ねてきた。俺が抵抗しないでリエに身を委ねた途端突然舌を痺れさせる刺激が走る。苦い液が俺の頬一杯に流れ込んでくる。不意に口の中を満たす液体を無理矢理飲まされながらリエの舌が唇の隙間から滑り込んできて俺の舌に絡み付く。俺から唇を離してぺろりと唇を舌で舐めながら上目使いで俺を見てリエが満足気に微笑む。「ほら飲めるじゃん?どうって事ないでしょこんなの。きゃはははは。はい、これナツの分のビールだよ。はぁい乾杯!!」真赤な顔のリエがビールを渡そうとしてよろけて俺の胸に抱きつき急に缶を振りビールの飛沫を撒き散らして照れて笑った。リエが不意討ちのディープキスをする為のきっかけに使っただけのリエの唾液と混じり合った生温いハイネケン。クラブのトイレで知合ってから何十分も経ってないリエの口移しで生まれて初めての酒を俺は口にした。
戻る
目次

 昼間エリックが言ってた『この街の裏側。』俺の興味を惹きつけたこの言葉が隠し持つ危ない魅力。俺はその事ばかり何度も考えた。産まれた瞬間から現在までの14年間。大浦夏として俺が生れ育ったちっぽけなこの街。此処で14年の月日を過した俺がまだ知らないだけのこの街の裏側?確かにそう言った。普通なら気付きもしない嫌味でしかない俺の皮肉な質問に答える時エリックは嫌に真剣な顔で確かに言った。すぐに嫌味だってわかったらしく俺の興味を他へ逸らす事で嫌味を言われる原因の弁解や釈明をする事もなくかといって正当化する気もないように巧に嫌味を受流す時にエリックが言った。誤魔化す事だって出来た筈なのにエリックは真剣な目で俺を見ていた。何気なくエリックが見せた真剣な表情。エリックのあの真剣な表情を俺はあれから一度だって見ていない。ユウカやリエに見せる無邪気なエリックの笑顔は表の顔として造られた偽物のような気がして仕方がなかった。そう疑いたくなる程俺の頭の片隅に真直ぐで力強い真剣なあの目がずっと引っ掛っていた。『この街も裏側は危ないんだぜ。見たくないか?』そう言ったエリックのあの目が……。裏の表情になった時のエリックとこの街はどんな表情を俺に見せるのだろうか?そう考えていると俺の鼓動は次第に高鳴っていった…。  「ナツって何処中?そんな金髪で学校行ってんと教師とか超口喧しくない?あいつらってさマジ頼むから死んでくれって位ウザくない?ナツ地元でしょ?」顔を真赤にして完全に酔っているリエがフライドポテトを頬張りながら訳も無く笑った。ユウカが「お腹空いたぁ」と言うので俺達は一旦クラブを出て駅前のマクドナルドに来ていた。「一中だよ一中…喧嘩の前じゃねぇんだからよ…何処の中学かとか聞いてんなよ。馬鹿じゃねぇの?酔っ払い女がよ…。っつうか、あっ何々中なんだ?じゃあさ何とかって奴知ってる?私仲良いんだ。とか何とか言って共通の知人の話題でもしようとしたんだべ?基本だよな?下らねぇ…。」俺が面倒臭そうに答えた後に裏声で大袈裟に女の真似をしてリエを馬鹿にするのを見てユウカとエリックはくすくす笑っている。「でも同じ中学の然も同じクラスの奴?の名前出されたとしても知らねぇぜ俺。それに頭髪の事も別に煩く言われた事ねぇもん俺。今時髪の色変えてない中学生なんて居ねぇっつうの!それとも髪染めてんから髪型とか服とか自由な私立中学校かと思って聞いたの?アホだべ?リエって。」「なにぃ?超ムカつくぅ。アホとか言われた…只何気に聞いただけなのにってゆうかなんで同じクラスの子も知らないの?そっちの方がアホだよね?ユウカ。ナツちゃんと学校行ってんの?」リエが悔しそうにムキになって俺に聞く。「は?酔ってんから呂律が回ってなくて何言ってんのかわかんねぇんだよ。」俺は聞こえているのに耳の後に手を当ててわざとらしく惚けてリエをからかう。「学校ちゃんと行ってんのかって聞いたの!ムカつくぅ、ちゃんと聞こえてるくせに本当ナツって性格悪いよね?」リエが引き攣った笑顔で俺の頬を力一杯抓る。「痛ててて、ごめんなさい…マジ痛いって。洒落通じねぇんだからよ…学校?一番最近言ったのが去年?一年以上経ってんかな?学校行かなくなってから。だから2年になって俺自分が何処のクラスになったのかさえ知らねぇんだよ。だからリエが一中の誰かと知合いでも俺が一中の奴全然知らねぇからさ。共通の知人の話題で盛上がるっつう会話のキャッチボールの基本?っつうのが俺には通じねぇんだ悪ぃけど。くっくっく。何処中かなんて意味のねぇこと聞かれたの久々だよ。エリックって何処中?答えられてもアメリカの中学校なんか知らねぇけど俺。くっくっく…はっはっは。」俺は掌で頬を摩りながら不適な表情で散々リエの事を馬鹿にして少しも悪びれず明け透けに嘲笑った。「ナツ…。暢気に笑ってる場合かぁ?あんた中学からバックレる事憶えてどすんのよ?親泣くよ?ったくどうしようもねぇなぁ…。」リエは呆れて怒るのも忘れて説教臭い言い方でそう言って俺を見た。「なーに言ってんのよ?リエ。あんただって一学期なんて殆ど学校来なかったじゃん。ナツの事どうこう言う資格ないって。ナツぅリエもサボリの常習なんだよ?偉そうにお説教できる立場じゃないってマジで。」ユウカはシェイクに刺さっている赤と白と黄色のストライプのストローを指先で摘んで弄ぶように回転させながら悪戯っぽく笑って俺を見る。「一学期?」蓋とストローを外して紙のコップに直接口を付けて呷るようにコーラを飲んでいた俺は思わず手を止めて怪訝そうに眉を顰めて聞き返した。「何一学期って…?。キャバクラって一学期とか二学期とかあんの?何の学期だっつうの!あっ…。もしかしてリエとユウカって高校生とか…?嘘だろ?ふっざけんなよ!あり得ねぇ!最初見た時から今の今まで2人共お水か風俗?本職の20代とか思ってた…。マジでぇ?」俺が信じられないというように首を傾げながら驚いた表情で二人を見るのをエリックは楽しそうに笑って眺めている。「失礼だよねぇ…。さっきからこのクソガキは…癪に障る事を次から次へと…。私もユウカも何処からどう見てもぴっちぴちの16歳の女子高校生にしか見えないっつうの!」リエは立上ると腰に手を当ててセクシーに体をくねらせてお尻を揺らしながら俺にウィンクして投げキッスをしておどけた。エリックが指笛を鳴らしてふざけてポーズをとるリエを喝采する。周りの客達が煙たそうにちらちらと俺達のテーブル席の方を見遣って蔑むように一瞥している。俺はそんな刺すような視線に気付いているのに全く物怖じせず不敵に笑ってリエを野次る。「そのやらしい身体が高校生には見えねぇんだよ!なんかエッチぃし。」「やらしい?ったくこのクソガキは…。セクシーってゆうのよぉこうゆうのは。」ふてぶてしく微笑みながら真直ぐに目を見ている俺の挑戦的な態度が余程癪に障ったらしく、リエが俺の額を指先で思い切り弾いた。「いってぇ…何すんだこの酔払い女!マジ痛えよ畜生…。」「何すんだ?知りたい?デ、コ、ピ、ン。きゃっはっはっはっは!マジで痛がってるし。きゃはは。」掌で額を摩りながら不貞腐れる俺を腕組みして勝誇ったような顔のリエが指を差して楽しげに高笑いする。「もーう二人がラブラブなのはわかったってば。気ぃ済んだっしょ?もうそれ以上イチャつかなくていいって。」ユウカがそう言ってにっこり笑い両方の手でテーブルを叩いて立上る。「さ、て、と…。お腹も一杯になったし?踊りに行くよぅ!ほら皆早くぅ、立った立った。」ユウカはふらふらした足取でよろよろと歩き出した。
戻る
目次

 俺達が着いたのはさっきのクラブではなくレゲェバーだった。エリックは分厚い扉の所に立っている店員らしいドレッドヘアの男に一言二言何かを耳打ちして握手を交わすとあたり前のように金を払わずに扉を開けて中へ入って行く。リエはウィンク。ユウカは投げキッスをして男の前を通ってエリックに続いた。「どうぞ。入りなよ。楽しんでってくれよ。」ドレッドヘアの男は笑顔でそう言って拳を突出した。俺はその拳に自分の拳をこつんと当ててエリック達の後に続いた。中に入るとさっきのクラブと同様にここでもかなりの大音量でレゲェのレコードが掛かり続けていた。ここもやっぱり大量のお香が焚かれていて店中至る所に青紫色の煙が立ち上っている。ブラックライトに照らされて薄紫に煙る空気はまるで生きているみたいに次々と不規則な形に姿を変えていく。俺にはその煙が何かを暗示する暗号みたいな模様に見えた。何て事のない只の煙がそんな風に見える程期待と不安が入混じった何とも言えない不思議な感覚が俺の心を高鳴らせていた。リエは中に入った途端真直ぐにフロアへ向い突然狂ったように奇声をあげて踊っている。相当酔払っているのが明らかに見て取れた。ユウカはバーテンと耳打し合って肩を叩きケタケタと笑い転げ、またバーテンに耳打しては意味深に笑ったりしている。二人の様子を観察してから俺はエリックの姿を捜して素早く視線を走らせた。そして人ごみの中のエリックを目敏く見つけるとしばらくエリックの行動を目で追った。最初に行ったクラブ同様店員、DJ、バーテンダー、客の一人一人全員と一言二言冗談や雑談を交しながら無邪気な笑顔を振り撒いてコロナビールを喉を鳴らして旨そうに飲んでいる。一見普通に見えるこの行動に俺は疑問を感じた。一体どうなってるんだ?さっぱりわからなかった。さっき行ったマクドナルドでさえ店長やアルバイトの店員達とエリックは知り合いみたいで少し下らない世間話をしただけで俺達がリクエストした商品を極自然に料金を払わずにテーブル席へ持ってきた。最初のクラブ。マクドナルド。そしてこのレゲェバー。今までの様子から推測すると今日の夜にこの街をうろついている奴等は殆どの奴がエリックと知合いで入場料は勿論飲食いした分の料金も俺達4人からは1円だって取ろうとしない。何だってんだ?エリックの何気ない行動。リエとユウカが慣れている事から考えても普段からこんな感じだって事が容易に想像できる。普段通りのエリックの行動。それを知れば知る程エリックの素性っていうのが俺には全く理解し難い世界でしかなかった。その店の商品が欲しければその品物の代金を店に支払う。それが物を買うって事。小さな子供でも知っている当たり前の常識。そう思っていた俺の固定観念はエリックには当て嵌まらなかった。そう、只俺は知らなかっただけ。あの日まで俺は何も知らなかった。何も…。こんな事位はエリックの裏の顔、隠された部分のほんの極一部でしかないという事にまだこの時俺はまるで気づいてなかった…。
戻る
目次

 一軒一軒この街に在るクラブ、バー、スナック、ラウンジ、キャバクラ、性風俗店。それに雀荘や飲食店。夜間にこの街で営業をしている殆ど全ての店でエリックは同じ行為を繰返した。やっと最後のキャバクラに着いたのは深夜3時過ぎだった。今夜のエリックの行動は俺にはわからない事だらけで必死で戸惑いを隠しながら俺はエリックについて来ていた。そして更に訳がわからなくなっていた。たとえばエリックの顔の広さ。街に出ると基地の外国人兵士達、これは当然としても酔払いの中年や若者たち、飲屋街を肩で風を切って練歩くヤクザやチンピラの一団、駅前のロータリーで屯して睨みを効かせている暴走族の少年達の集団。一晩だけの遊びの恋愛の相手を求めて街を彷徨う軟派目的の少年達や軟派待ちの少女達。薄暗い路地裏に立って客を取る売春婦達。巡回中で忙しいはずの警察官。今夜この街に居る全ての人間達がエリックの知り合いのようで誰とでも一言二言冗談なんかを言合って笑い合い時にはわざとらしいくらい無邪気な笑顔で大袈裟に肩なんか叩き合ったりもしていた。今夜最後に来たこの店は高級そうな落着いた雰囲気でくつろげる感じの店だった。例の如くエリックは店のママ、チーママ、ホステスの女の子達、男の店員達、それに客一人一人にまで話掛けて笑い合っている。その光景が俺にはわざと陽気な外人を演じているように見えた。いつの間にかユウカとリエは何処かの店で会った酔払いと夜の街に消えて行った。エリックはこの店の全員と話し終ったらしくいつもの笑顔、いつもの踊るような特徴ある歩き方で俺が待つテーブルへとやって来た。そして柔かいソファに身体を沈めると満面の笑みを浮かべて俺を見た。「ナツぅ気付いてたんだろ?ユウカのあの熱い視線。あれは完全にナツにイカれてるぜ!どうなんだよ色男?抱かれたがってんぜユウカの奴。えっおい、ナーツ!!」エリックが子供みたいに無邪気に笑う。俺はエリックの方を見ないで無表情のまま静かに答える。「あの酔払いみたいに俺にも金を払えって事か?エリック…俺はあんなに金持ってねぇぜ。もし持ってたとしても女なんか買う気はねぇけどな…。」エリックが笑うのをやめて俺を見る。「冗談さ、只の冗談…そうか金を受取っている所を見られたのか…あれは只の仲介料でリエもユウカも自分の取分を貰って納得の上でアルバイトしてるんだぜ?」エリックは悪びれず煙草に火を点けながらそう答えた。俺はエリックの顔を真直ぐに見つめて唇の端でニヤリと笑う。「エリック…。猿芝居はいい加減にしろよ。チッ…。あんた程の人があんな人前で大っぴらに金の受渡しなんかする訳ないもんな?わざと俺に見せようとしてたくせによ…何が見られたのか?だよ。ふざけやがって。もういいだろ?そろそろ表の顔は仕舞い込んでずっと隠してる本当のエリックを俺に見せろよ。回りくどい自己紹介しやがって…俺の只の勘繰りだって言って誤魔化したって構わねぇけど?別に。」面倒臭そうに吐き捨てる俺を見てエリックはニヤッと意味ありげに唇の端を歪めた。「流石だナツ。怒ってるのか?騙すつもりじゃなかったんだ。簡単なテストって奴だ俺なりのな。おめでとうナツ合格だ。文句なく満点だよ俺の目に狂いはなかったって事だ。今日ナツに初めて昼間会った時一目見た時にすぐわかったんだよ。『コイツは使える。』ってな。」エリックがそう言って真剣な目で真直ぐに俺の目を見てから悪そうな薄ら笑いを浮かべた。俺はエリックの顔を見た瞬間ぞくぞくっと全身に寒気が走った。この時のエリックの表情が俺が密かに想い描いていたエリックの裏の顔と気持ち悪い位一致していた。軽い興奮状態で髪が逆立つような感覚で全身に鳥肌が立っていく。こんな事は初めてだった。「どういう事だ?」俺は昂ぶる思いと裏腹に無表情のまま素気なく言ってエリックを見た。エリックが静かに答え始める。「まず俺にはお前が口の固い奴に見えた。かなり危ない橋も渡るから口が固いっていうのは第一条件だ。実際おまえは他愛もない軽口は叩くが本当に重要な事はちゃんと時間をおいて大丈夫だっていう確信が持てるまで俺に言わなかったからな。逆に軽口が叩けるっていうのも合格の要因だ。今夜見ていてわかったと思うがこの商売は営業が大事だ。いくら良い品物が揃っていても宣伝しねぇと客はつかねぇ。なにしろ合法じゃないから大っぴらにコマーシャルする訳にもいかない。地道な営業活動あるのみだ。自分の目や鼻で刑事や私服警官じゃないって事を確り確認した上で声を掛ける訳だ。そういう奴等に現行犯で逮捕されたら幾ら俺でも助けるのは難しい…懲役に行って貰うしかない。リスクは高いけどギャラはそれに充分見合う額だしな。何も心配する事はない。それになナツ、おまえの顔は営業に向いている。人から好かれる顔だ。実際に現場に出て何日かやればすぐに客がつくだろう。ナツどうする?続きを聞くか?興味ないならこの話は終わりだ。」俺の目を真直ぐ見つめてエリックは答えを待っている。「続けてくれエリック。」俺はそう言ってエリックを見る。「ナツの顔から知性的なきらめきを感じたんだ。鋭い観察力、綿密な分析力、的確な洞察力、柔軟な思考力、理知的な理解力。それに知能指数もかなりの高さのようだ…」俺は表情を殺してポーカーフェイスでエリックの言葉を遮る。「そんなに褒めても何もでないぜ?そんな下らない事より仕事の説明の方をしてくれないか?」「そう!それだよナツ。何があってもクールでいられる謙虚な姿勢。自惚れや虚栄心のない所が更なる向上心、上昇思考を生み鍛錬を怠らずに洗練された特殊技能が確実に自信につながる。」真剣なそれでいてとても穏やかな顔でエリックは続けた。「ナツ。ここまで完璧に近いおまえでもその若さじゃどうしても足りない物がある。経験‥人生経験だ。こればっかりは生まれ持った才覚って奴だけじゃどうにもならない。あと他の色々な細かい事は明日から実際に現場でその都度教える。これは口で簡単に説明できないからな。」エリックは力強い真剣な瞳で俺の瞳の奥を読み取ろうとして集中している。表情は簡単に無表情になれたけど一瞬、ほんの一瞬の事だった。俺は知らない世界への好奇心のせいで一瞬瞳孔が開いた。俺のリアクションを読み取ろうと集中していたエリックがそれを見逃すはずがなかった。「なんだかんだいっても14歳の少年だな?ナツにも人間らしい一面が残っていて安心したよ。ナツ、お前のその素晴らしい才能ずば抜けて優れている頭脳。俺に力を貸してくれないか?二人でこの街を変えるんだ。」俺はずっとお預けをくっていた犬のように目の前に差出された餌に尻尾を振って飛びつく。面白くて甘い危険な罠にはまる。そしてやっと会えた。  「はじめまして。エリック!」  そうだこの日に二人は出会ったんだ。東京都下、国道16号線沿いの米軍基地が在る小さな街が違う色に染まるひどく暑い夏。全てはこの時から始まった二人の物語。
戻る
目次

 突然降り出した夕立に煙る国道16号線沿いをぶらぶら歩いていた。壊れたシャワーみたいに強く打ちつける雨は夏の暑さで溶けそうだった体を冷やしてくれる。夏の訪れを知らせる通り雨がアスファルトを輝かせる。ナツは不意にガードレールに寄りかかってポケットから携帯電話を取り出す。その携帯電話を眺めながらナツは思い出していた。  白く明け始めた16号沿いをエリックと歩いていた時突然エリックはポケットから携帯電話を出しナツに投げた。「やるよナツ。」「あ?俺携帯なんか使わねぇよ。」エリックは煙草に火を点けながら言った。「それが俺達の店だ。注文は全てそれで受ける。」きらきらと輝く朝日が俺達を照らす。「じゃあな!連絡する。バイバイナツ。」エリックは踊るような歩き方で基地の中へ消えていった。  あの日から一週間が経つけどエリックからの連絡はなかった。いつの間にか雨は止んで夕日が赤く水たまりが血のようだった。ガードレールから腰を上げ歩き出そうとした時突然携帯電話の着信音が鳴った。「ようナツ。元気だったか?エリックだ。」「全然連絡ねぇからもう忘れてんかと思ったぜ。」「ちょっと捜し物があってな…。ところで今日は時間取れるか?」俺は答えが決まってるのに少し間を空けて答える。「あぁ…大丈夫だ。」「今どこだ?」そう聞かれて俺は辺りを見回して答える。「ニコラスのそばだな。」「わかった.5分で行く。」そう言ってから一分もしないうちに馬鹿でかいオープンカーがニコラスピザの前に横付けされた。「ナツ!乗れよ。」エリックが無邪気に笑い手を振っている。ナツが乗り込むと握手を交わしながら言った。「会いたかったぜナツ。」エリックはそう言って笑うと車を走らせた。  「何処に向かってるんだ?」俺は暮れ始めた夜空を見上げながら聞いた。その辺りはあまり家とかもない寂しい感じの道でエリックのアメ車が全然似合わない道だった。「もうすぐ着く。」そう言ってエリックは笑う。車は橋を渡り左にカーブする道を右に曲がった。そこは巨大な敷地のプールのある遊園地か何かで、エリックはかなり広い駐車場に車を停めて俺に言った。「今日はここで運転を憶えるんだ。運転した事はあるか?ナツ。」エリックがハンドルを軽く叩きながら言った。「いや、ないな。」俺が無表情で答えるとエリックは穏やかな顔で言った。「そうか。よし、じゃあ交代だ。」  俺は初めての運転が面白くて時間の経つのも忘れて夢中になっていた。エリックの教え方はとてもわかりやすくて空が明け始める頃には俺は普通に運転できるようになっていた。遠くから二台のヘッドランプが近づいてくる。メルセデス・ベンツとトヨタのアルテッツァという車だとエリックが教えてくれた。アルテッツァからチンピラみたいな若い男が降りて近づいて来る。「エリック。これでいいんだろ?」「バッチリよ。」エリックが片言の日本語で答えて俺にその男を紹介した。「リュウだ。これからもちょくちょく会うと思うから憶えておけ。」「なんだ?そっちのガキも外人か?」その若いチンピラは俺とエリックが英語で話していたので俺の事を外人と勘違いしたらしい。「ナツね。これからはリュウの所はナツが行くからよろしくね。」エリックが俺の事をそのリュウという若いチンピラに紹介した。「ナツって言います。よろしくお願いします。」「オウ、よろしくな!」俺が会釈して挨拶するとリュウは笑顔で答えた。「おっと、忘れるところだったぜ。これこれ。」リュウがポケットから封筒を出してエリックに手渡す。「これでいいんだろ?」そう聞きながらリュウが手渡した封筒の中身をエリックは確認してから「OK!」と言ってニヤリと笑いポケットから輪ゴムでとめられた一万円札の束を出し二つの束をリュウに渡した。その一万円札の束は一つが百万円位はありそうだった。「じゃあまた近いうちになエリックと‥ナツだっけか?」「はい、失礼します。」俺が爽やかに笑い挨拶するとリュウは手を上げ小走りに車に駆け寄りリュウが乗込むと真黒なメルセデスは夜の闇に吸込まれていった。「これを使うんだ。」エリックがそう言ってさっきリュウから受取った封筒を俺に手渡した。中を見てみると偽造免許証だった。この前の夜スピード写真で撮ったナツの顔写真が使われている。「車はあれを使え。」そう言ってリュウが乗ってきたアルテッツァを指差した。そしてポケットから折りたたまれた紙切れを出し俺に差出す。「こっちが駐車場の地図、でこっちはリュウの事務所の地図。」地図はナツの家の近くの月極駐車場の地図で駐車場所と駐車番号が記してある。もう一枚は町の地図のコピーにリュウの事務所の所に印がしてあって余白の所にリュウの携帯電話の番号が書いてある。「リュウの所は車、偽造免許証、偽造パスポート、偽造クレジットカード、覚醒剤、マリファナ、コカインを仕入れる。わかったか?ナツ。」エリックはそう言って俺を見る。俺は黙ったまま頷いた。「乗ってみろ。お前の車だ。」エリックがそう言ってアルテッツァを顎で指した。  福生へと帰る道中エリックの馬鹿でかいアメ車で練習したせいかアルテッツァは乗りやすくてナツはこの車が気に入った。太陽が照りつける16号沿いにエリックは車を停めた。ハザードを出してエリックのアメ車の後ろにアルテッツァを停め俺は車から降りてエリックの方へと近づく。「どうだ?」エリックが少年のような笑顔でハンドルを握る真似をして俺を見る。「いい車だ。」「そうか喜んでもらえて何よりだ。」エリックが目を閉じて静かに笑う。そしてポケットから三万円とクレジットカードを出して俺に差出した。「このカードはガソリンを入れるときに使え。それと今日の分のギャラだ。」そう言って俺のポロシャツの胸のポケットに押込んだ。「おいエリック…ギャラって今日は何もしてないじゃないか。」俺がポケットから金とカードを出そうとする手をエリックが止めた。「いいんだナツ。車の運転っていうのも仕事をする上で絶対に必要な事だからな。それじゃ今夜からシノギしながら色々と教える。夜に備えてゆっくり休んでおけよ。」エリックはそう言って俺と握手を交わすと車を走らせ去って行った。
戻る
目次

 いつの間にかナツは『マーケット』と呼ばれ夜の街でかなり有名になっていた。売り文句は『キャンディーからロケットまで何でもあります。』ナツの携帯電話の番号は口コミで広がり都内からも注文が入るようになっていた。最近では営業をしなくても客の数は増える一方だった。非合法の物でも金さえ出せばなんだって買える。あの時エリックの言っていた裏側の世界がナツには居心地がよく二度目の夏を迎えようとしていた。昼夜を問わず携帯電話は24時間鳴る。今日は久しぶりに福生の街にきていた。  街を歩いていると会う人会う人みんながナツに話し掛けてくる。一年前のエリック同様ナツの事を知らない人はこの街には一人もいなくなっていた。突然携帯電話が鳴った。「ナツ?どうだ?今日は。」エリックからだった。「いつも通りだ。問題ない。」「そうか。今夜は?」「福生だ。」「ワーオ!久々に会えるな?じゃあ後で。」電話を切ってナツは一軒のクラブに入った。「ようナツ久しぶりだな?」顔馴染のバーテンがナツに笑い掛ける。「こんばんわ中山さん。お久しぶりです。どうですか?最近。」「コーラだろ?」中山がコーラのビンの栓を抜いてナツに渡しながら答える。「あまり客は入らないけどな。変わらないさナツが毎晩来てた頃と。」「そう?」そう言ってナツは一万円札をカウンターの上に置いて椅子から立上がる。「ナツ…いらないよ。」中山が一万円札をつかんでナツに返そうとする。「いいんですよ中山さん。とっといて下さい。」ナツが爽やかに笑うと中山は仕様がなさそうにポケットに仕舞った。「いつも悪いな?ナツ。」中山は頭を掻いて笑う。「あっそうだ‥またこれ頼みます。」ナツは思い出したようにそう言ってスーツのポケットからカードを50枚位出して中山に渡した。「来月からか?」中山はカードを受け取って確認しながらナツに聞いた。「はい、来月からです。それじゃあお願いします。また近いうちに顔出します。」ナツはそう言って振り返りクラブを出ていった。  ナツが営業をしなくても客が増えるのは彼等のお陰でもあった。各店に一人信用できそうな人間を見つけて3ヶ月毎に変えている携帯電話の番号が書かれているカードを彼等を窓口にしてばらまく。エリックに言うと「他人を信用しすぎるとやばい。」と言われるのがわかっているので内緒にしているがナツはこの方法でかなり売上を伸ばし色々な街へと進出していった。ナツはその辺の見極めも抜群に長けていた。  「あー!ナツだ!!久しぶりじゃーん。」突然の叫び声にナツが振返ると制服姿の女子高生が不意に抱きついてきた。ユウカだった。「マック行こー。」ユウカはそう言ってナツの腕を引張って歩き出した。「エリックに言っておいてよ。この前の人すっごい変態だったんだよー。超キモイの。」ユウカがシェイクを飲みながら大して怒ってなさそうな感じで言った。「あ?知らないよ。自分で言えよ。」ナツはあまり興味なさそうにぶっきらぼうに答えた。「何それ?ひっどーい!冷たい言い方ー。ナツ変わったよねー。」ユウカが不貞腐れる。「あ?わかったよ…会ったら言っておくよ。」ナツは面倒臭そうに答えてユウカを宥める。「ありがとー。だからナツ好きー。」ユウカが無邪気に笑ってナツにキスをしようとした時ナツの携帯電話の着信音がマクドナルドの店内に鳴り響いた。ナツはキスをしようとして近づいてきたユウカをさっとかわし素早く携帯電話の着信番号を確認してから通話ボタンを押した。「はい、どうも藤原さん、はい、はい、じゃあ30分位で…はい、じゃあ後程。」電話を切って立ち上がろうとしたナツの腕をユウカが引張る。「仕事?」不安そうにユウカが聞く。「あぁ。またなユウカ。」ナツはそう言うと上着を着て立ち上がりさっさと出ていってしまった。「もーう…。」ユウカが不貞腐れている。  福生に戻ってこれたのは1時少し前だった。立て続けに注文が入って帰ってこれなかった。「エリックはまだいるかな?」駐車場に車を停めてそう呟きながら車を降りると駐車場の隅でユウカがしゃがみ込んでナツの事を待っていた。「誰に聞いたの?ここの駐車場。」ユウカにそう聞きながらナツは立止まらずに行ってしまう。「ちょっと待ってよぅ…女の子が一人でこんな時間にこんな所にいたら心配しない?普通。」ユウカが一生懸命早足でナツについてくる。「わかってるなら心配させるなよ!」ナツが険しい顔でユウカを見る。「ごめんなさい…。」ユウカはうつむいている。「彼氏とか心配してんぞ。帰れよ、送ってやるから。」ナツが先にたって歩き出そうとするとユウカがナツの袖をつまんで引き止める。「わかってない…。」小さな声でユウカが呟いた。「えっ?」ナツが顔を近づけるとユウカは泣いていた。「わかってない‥わかってないよナツ。ナツに心配してほしいの…ナツが好きなの。」「泣くなよ…わかったからもう泣くな。」ナツは厄介だなと思いながらユウカにハンカチを渡す。「今からちょっと飲みに行こうぜ?」これはエリックに頼んだ方が早いなと思いユウカに優しく笑い掛けた。「うん。」ユウカは照れ臭そうに涙を拭きながら頷いた。  街に着くと顔馴染の呼び込みの男がナツに気づいて近づいてきた。「よう!ナッちゃん久々だな?珍しいな?女の子なんか連れちゃって。」ナツはユウカに気づかれないように呼び込みの男からエリックの居場所を聞き出した。「じゃあまた今度寄らせてもらいます。」そう言って呼び込みの男と別れた。「やっぱ目立つよな?この時間にその制服じゃ…。」「そう?別にだいじょうぶっしょ?私なんちゃってじゃないし。」無邪気に答える脳天気なユウカにナツは少し呆れている。「…………。ちょっと服借りてやるから着替えろよ。」そう言って一軒のキャバクラの前でナツは足をとめた。「ここでいいか…。おいで、ユウカ。」ナツはユウカの手を引いて店の中に入っていく。「あらナツじゃない、久しぶりね?」何人かのホステスがナツに気づいて近づいてくる。「ママいる?」「あら私じゃだめなの〜?」ナツが聞くとその女の子はふざけて甘えてみせた。「ママ〜ナツチャン御指名よ〜。」女の子がふざけた調子で叫ぶと店の奥から30代前半位の綺麗な女性が出てきた。「あらナツ珍しいわねぇ?」「ご無沙汰してます。すいませんけど服貸してもらいたいんですよ。店の女の子に貸す貸し出し用のやつ。」ナツは爽やかに笑い挨拶する。「ナツが着るの?じゃあお化粧もしてあげる!ナツなら綺麗になるわよ。」ママがナツの頬を手のひらで撫でて艶っぽく笑う。「違いますよ。俺じゃなくって…おいっ。」ナツが笑ってユウカを手招く。「すいませんママ。じゃあお願いします。」ナツはユウカの事をママに頼んで奥のVIPルームに向かう。
戻る
目次

 「何か問題か?」ソファにゆったりと身を沈めてエリックが笑っている。ナツはそのエリックの笑顔を見て全ての事に気づいた。「そうか…そういう事か…考えてみりゃ駐車場の場所知ってるのはエリックだけだもんな?二人共グルか…。」ナツが眉を顰めてエリックを見る。エリックはニヤッと笑ってナツと握手した。「なんだよ!じゃあユウカが言ってたのも冗談か?二人で俺の事からかいやがって。マジ面倒臭ぇーとか思っちまったよ!」俺が膝を叩きながらソファに座るとエリックがきょとんとしている。「ユウカが何か言ったのか?」不思議そうに聞くエリックを見てナツは深い溜息を吐いてから素早く要点だけをエリックに説明した。「付き合えばいージャン。」エリックは真面目な顔でそう言ってナツの反応を見て楽しんでいるようだった。「わかった…。自分で何とかする。」ナツがそう言って立ち上がりVIPルームから出て行こうとするのをエリックが止める。「冗談だよ。どうする気だ?」エリックはナツがどう対処するのか見て楽しんでいるように見える。「付き合ってみるよ。」ナツが寂しそうに笑う。エリックが期待はずれな答えにがっかりしたような複雑な表情で心配そうにナツを見る。「なんてな。」ナツが舌を出しておどける。「やるなナツ。すっかり騙されたよ。」エリックが悔しそうに苦笑いする。ナツとエリックは普段からお互いがどんな反応をするか期待して試しあっている。今までもエリックの仕掛けた悪戯をナツは何度となく経験している。その度に本当のトラブルかと思い最善の対処をしてきたが幸いな事に本当のトラブルは今のところなかった。「遅いよ?ナツ!」ナツとエリックが二人で笑いあっていると突然ドアが開いてユウカが顔を出した。「あれ?エリック…何でいるの?」「たまたまでーす。座ったらどうですか?」不思議そうに聞くユウカをエリックは中に招き入れ椅子を勧める。ナツはまだ楽しんでニヤニヤ笑うエリックの期待に応える。「ユウカ?さっきの事だけどさ…。」ナツが話し始めるのをユウカが慌てて止める。「あ−だめ−!恥ずかしいからエリックには内緒ー。」ユウカはナツにウィンクする。ナツは首を傾げてからユウカに構わず話を続ける。「なんで客が変態だった事エリックに知られると恥ずかしいんだよ?っつうかユウカが自分でエリックに言ってくれって言ったんじゃねぇか。」ナツがわざとらしく見えない不思議そうな顔をしてユウカに聞く。「えぇーさっきって駐車場で言った事じゃなくって?…えっ?あーうん‥何だっけ?」ユウカは焦ってしどろもどろになっている。「あ?なんだよ?自分でエリックに言うか?」「何何?エリックも聞きたいよ。内緒ダメです。教えて下さーい。」ナツが怪訝そうに聞くとエリックも大袈裟に聞きたそうにする。「あぁさっきってマックで言ったこと?」ユウカがやっと思い出してばつが悪そうにはにかんでナツを見る。「あ?何言ってんの?それ以外に何があんだよ?俺他にユウカになんか言われたっけ?記憶にねぇけど?」ナツは微笑んでユウカを見る。「だから普通の?普通の客ってどんなのか知らねぇけど普通の客にしてほしいんだってよ。」エリックは首を傾げてナツを見る。「日本語難しいでーす。意味がよくわかりませーん。」エリックがユウカに気づかれないようにナツを見てニヤッと笑う。「そうか…。この手があったんだよな?」ナツはエリックに敬礼して流暢な英語でしゃべりだした。「こういう場合エリックならどうするんだ?教えてくれ。」そう言ってナツはユウカの方をちらりと見る。「今いい感じじゃないか。このまま惚ければいいんじゃないか?それともわざと嫌われるか?ナツ次第だろ?」エリックが楽しそうにナツを見る。「客ってさぁ…」ナツは突然日本語でユウカに話し掛けた。「いちいち女買う前に『俺は変態です。だから変態OKな子をお願いします。』なんて言わねぇじゃん?だからエリックにはどうにもできないってよ。っつうか俺に言わせりゃ仕事なんだから割り切ってやれよ。っつう話。」ナツはそう言ってユウカを諭して優しく微笑む。「さてと…時間だから俺もう行くわ。エリックユウカの事送ってやってくんねぇか?頼んだぜ、エリック。」ナツはそう言って立ち上がるとエリックと握手を交わしてそのまま足早にVIPルームから出て行ってしまった。「私ナツに嫌われてるのかな…?」ユウカが泣き出しそうな顔でエリックに聞く。「クールなだけ。大丈夫。がんばってユウカ。」エリックが穏やかな顔でユウカを慰める。「ありがとうエリック。また応援してねー。」ユウカはエリックににっこりと微笑んだ。
戻る
目次

 ナツは朝日が昇り始めた中央高速道路を走っていた。助手席に置いてある携帯電話が鳴る。ナツはイヤホンマイクを耳につけて通話ボタンを押した。「兄弟、どうだった?新宿は?」ナツは目を細めてフロントウィンドウ越しに見えるオレンジ色に輝く太陽を見つめている。「難しいだろうな…。何でも買えるしヤクザと蛇頭が確りと仕切ってて入り込む隙がな…俺はまだ歌舞伎町は無理だな…おっかねぇよ正直。」「そうか。今夜は?」エリックにそう聞かれてナツは少し考えてから答える。「そうだな‥立川でも行くかな…。」「立川か、わかった。気をつけて帰ってこいよ。」八王子のインターで高速を降りてしばらく走っていると左手に東京サマーランドが見えてきた。エリックに運転を教わったナツにとって思い出深い巨大な駐車場のある遊園地をナツは懐かしく思いながら横目で見た。福生の駅前に着いたのは7時過ぎだった。銀行が開くまでまだ時間があったのでナツは銀行の前にアルテッツァを停めて少しだけ仮眠をした。目が覚めて銀行に入るとちょうど昼時だったのかえらく混雑していた。昨日は新宿で下見をしながらクスリ関係を売った。クラブを中心に手売りだったけど福生から持っていった品物は全部売り切ったので売上の現金を銀行に入れる。都心に行けばそれだけ売上は上がる。でもその分リスクが高くなるのがネックだった。ナツはその駆け引きで出るべきか引くべきか悩んでいた。仕入れ用の200万円を残してあとは銀行の普通預金の口座に入れる。  銀行から出るナツを見て4〜5人の制服姿の中学生達がナツの方に駆け寄ってきた。よく見るとその女子中学生達はナツの通う福生第一中学校の制服を着たナツの同級生達だった。「ほらやっぱりナツだよ?」一人の少女がそう言って嬉しそううにナツに話し掛けてきた。「ねぇねぇナツってさ高校とかどうするの?」その言葉を聞いてみんなが興味深そうにナツを見る。「高校?忘れてた…もうそんな時期?マジで?そうか…真理子はどうするの?」ナツは穏やかに微笑んで逆に少女に聞き返した。「私?私は渋女行きたいんだー。渋谷女子。」「ふうんそうなんだ?涼子ちゃんは?」「私は福高かな?だって近いから通うの楽じゃん?」「そうだよな?家から近い方がいいよな?うんうん。」ナツは笑って頷く。「由加は?」「立女?私頭悪いから立川女子くらいしかいけなそう…。」少女はそう言って恥ずかしそうに笑っている。「ヤダー。私が聞いたのに。ずるいよナツ。どうせナツは頭良いからどこの高校だって好きなところいけるもんね?」少女達はそう言ってケタケタと元気に笑った。  「ねぇねぇナツなんでスーツなんか着てるの?」「もう一年以上学校来てないよね?いつも何してんの?」「学校来なよ!みんなナツに会いたがってるよ。」同級生の女の子達と駅前のケンタッキーフライドチキンで話し込んでいるといつの間にか5時を回っていた。ナツはケンタッキーを出て少女たちと別れた。手を振ってみんながいなくなったのを確認してからアルテッツァに乗込んだ。「高校か…。」と呟いてギアをローに入れアクセルを踏込んだ。
戻る
目次

 ナツは家に帰る前に基地に寄る事にした。ゲートで顔見知りの兵隊と少し話をしてエリックのハウスの前にアルテッツァを横付けした。車から降りてエリックの部屋のドアをノックする。しばらくするとエリックがドアを開けた。「よう、入れよ。」エリックはナツを招き入れにこやかに笑ってナツの顎に拳を押し当てた。「どうした?何かあったか?」エリックがナツの顔を覗き込んで心配そうに聞く。「別に…何もないよ。」ナツはそう言ってソファに腰を下ろす。「昨日幾ら抜けた?」エリックが煙草に火を点けながらナツを見る。「50位かな?」ナツが無表情で答えるとエリックは口笛を吹いて指を鳴らした。「やっぱり都内は金になるな。」ナツは少しうつむいて笑う。「末端価格も高いし相場知らない奴が多いからそういう意味ではチョロいよ。」ナツはそう言ってから無表情に戻ってエリックを見る。「なぁエリック。高校の時って楽しかったか?」「どうした?突然。」「別に…。ただちょっと聞いてみたいだけだ…。」ナツは無表情のままソファに横になって天井をじっと見つめている。「楽しかったなぁ。俺は車にはまってたな免許取立てでさ。それに女、酒、煙草、高校の時だな…色々覚えたのは。周りがそういう環境だったし。」「勉強以外は、だろ?ビバリーヒルズはそういう街だしな?」クスクス笑いながらナツは髪を掻き上げている。「でも今はもっと楽しいけどな。」エリックがナツの頭を撫でる。「行きたいのか?高校。」「わからないな。行った事ないし。」ナツは起上がってエリックの方を見て微笑む。「そろそろ行くわ。」そう言って立ち上がるとナツはエリックのハウスを出て行った。  ナツは一度家に帰ってシャワーだけ浴びて着替えてまたすぐに家を出た。駐車場についたナツは頭を左右に振って呆れて深い溜息を吐いた。アルテッツァの前でリエとユウカがしゃがみ込んで話し込んでいる。ナツが来た事に気づいてユウカが走り寄ってきてナツに抱きついた。「また来ちゃった。」そう言ってにっこり笑うユウカを無視してナツはリエの方を見る。「どうしたの?今日はリエまで一緒になって…。」「だって行こう行こうってユウカが…ねぇ?」リエが照れ笑いして申し訳なさそうに頭を掻いている。
戻る
目次

 「ねぇねぇねぇねぇ今日はどこ行くの?」後ろの席で楽しそうにはしゃいでいたユウカが突然聞いてきた。「立川…。」ナツは全く気のない返事で運転している。「ごめんねナツ…迷惑だよね?」助手席のリエが心配そうな顔でナツを見る。「気にするな。たまにならいいさ。」ナツはリエを見て爽やかに笑った。  立川の駅前を車で軽く流してからナツは駐車場に車を入れた。クラブから回り始めて5件目くらいのショット・バーにいたとき注文の電話が入った。ナツはリエとユウカに携帯電話の番号を教えて配達に出掛けた。駐車場に向かう間に立川の仕入先に電話する。「ナツです。どうも。裏ビデです。はい、はい、失礼します。」電話を切って駐車場から車を出して事務所に寄って商品を仕入れた。客にモノを渡して戻ってくる途中で携帯電話が鳴る。ナツは素早く着信番号を確認して電話に出る。「ユウカ!どうした?なんかあったのか?」最悪の状況が頭をよぎってナツは一瞬緊張して声を荒げた。「わっ!びっくりしたー。どうしたの?大きい声出して。」受話器の向うでユウカが驚いている。「何ともないのか?なんかあった時意外電話すんなっつったろ?」「うん、何ともない。ごめんなさい。ナツが今どこら辺なのか気になっちゃったから…。」ナツは緊張を解いてほっと息をつく。「もうすぐ高速降りるから。そしたら30分位で戻る。」「気をつけてね。じゃあ待ってるねナツ。」「あぁそっちも気をつけろよ。」ナツは携帯電話を助手席に投げて大きく息を吐いた。高速道路を降りて国道20号線を走り立川通りに入って後もう少しで着くという時にまた携帯電話の着信音が車内に響き渡った。着信番号はユウカの携帯電話の番号だった。「ナツっ?リエが、リエがね…なんか変な男達に無理矢理……」「今どこだ?ユウカ!」「うん‥ナツと別れたビルの前…ナツ!早く着て!!お願い……」ナツは左折して裏道に入りシフトダウンしてアクセルを踏み込んだ。  「やめてよ!放してって言ってんじゃない馬鹿!!」リエが3人の男達に無理矢理連れて行かれそうなのを必死で抵抗していた。「おら!おとなしくしろって!!」「そっち持てよ馬鹿野郎!!」リエと男達が揉み合っているビルの前の道路に真赤なアルテッツァが物凄いスキール音でタイヤを鳴らしながら停まった。恐ろしい勢いで中からナツが飛び出してきた。男の鼻にナツの拳がめり込む。不意をつかれて男は吹っ飛んだ。他の二人がやっとナツに気づいて一斉に殴り掛かってきた。ナツは鮮やかな身のこなしですっと身を躱して一人を足払いで倒しその隙にもう一人を殴り倒した。足払いで倒した男の髪の毛を掴んで立たせて殴り倒しては立たせ殴り倒しては起こし力一杯顔面を殴りつける。最初に殴り倒した男がよろけながら立ち上がろうとしている。ナツはそれを目敏く見つけて顎先をつま先で蹴り上げた。男は血を吐きながら倒れて動かなくなった。「おまえ等家どこだ?こら!」ナツは意識がある一人の男の胸倉を掴んで怒鳴りつける。そいつに命令して3人の財布を出させる。受け取った財布からカード類と運転免許証を抜取って道路に財布を投捨てる。「これで終わりじゃねぇぞ。連絡すんから楽しみにしてろよ?逃げられないからな。」取上げた免許証を確認しながらナツは周りに聞こえないように耳元で囁いてから思いきり殴り倒した。3人の男は血塗れになってブルブルと震えている。ナツはすっと立ち上がるとリエとユウカの方へと歩いて行く。「大丈夫か?リエ、ユウカ。」心配そうな顔で二人の顔を覗き込みナツは優しく微笑んだ。「間に合ってよかった。立てるか?車に乗るんだ。」ナツはしゃがみ込んでいたリエとユウカを立たせて野次馬の人ごみを掻き分け二人を車に乗せて走り去った。  リエとユウカを家まで送り届けてから一旦家に帰り返り血で血だらけのスーツを新しいスーツに着替えてナツはまた立川に向かって車を走らせた。いつも商品を仕入れている立川の組事務所の前に車を停めてナツが降りてくる。「失礼します。」ナツは軽く頭を下げ組事務所に入って行く。「よう!派手にやったな?ナッちゃん。」「ナツ、おまええらい強いらしいな?見てた奴に聞いたぜ?内の組に来いよ。」「女無事でよかったな?ナツ。」ナツは事務所にいる構成員達一人一人に挨拶をしてから事務所の一番奥にある組長の部屋のドアをノックする。返事を待って中へ入る。「ナツです。失礼します。」組長のすぐ前まで行ってからナツは深々と頭を下げた。「すいませんでした。よそ者が駅前であんな騒ぎを起こして。挨拶が遅くなりまして申し訳ありません。」ナツはきびきびとそう言って組長に最敬礼する。「顔を上げな、ナッちゃん。気にする事はない。まだ若いんだからがんばりな。」「ありがとうございます。後お願いします。」ナツはそう言って顔を上げると机の上に取上げた免許証とカード類を置いてまた頭を下げた。「それじゃあ失礼します。」ナツは颯爽とした身のこなしで事務所を出て車に乗り込んだ。緊張感を解いて大きく息を吐き一息ついてからナツは福生へとアルテッツァを走らせた。
戻る
目次

 駐車場にアルテッツァを停めナツは携帯電話をポケットから取出しながら車から降りてくる。「エリックか?ナツだけど…」「聞いたよナツ、大丈夫か?」「俺はな…。今どこだ?」「びっくりドンキーだ。」「はっ?びくドン?…加美の?わかった。じゃあ後で。」電話をしながら歩いていたナツはもう街まで来ていて駐車場まで車を取りに行くのも面倒臭くてそのまま駅の方へ向かった。駅前で軟派目的で流しているローダウンされた車を一台止める。「ナツちゃんじゃねぇか。どうした?」何度かナツからハッパを買った事のある奴が車の窓から顔を出してナツに聞く。「悪い。ちょっと加美のびくドンまで乗っけてってよ。」ナツはそう言って車に乗り込んだ。「ありがとう。この借りはそのうち!」ナツはそう言って男に一万円札を握らせて車を降りてびっくりドンキーの店内に入っていく。  「元気な顔が見れて良かった。」エリックと固い握手を交わしてナツはテーブル席に座った。エリックは4人の制服姿の女子高生とハンバーグを食べていた。「ナツも食べれば?」エリックは女達を紹介した後そういってナツの顔を見た。「俺はいい。」ナツがどうでもよさそうに答えるとエリックはニヤリと笑う。「もうハンバーグは沢山か?」エリックが唇の端を歪めてナツを見る。ナツとエリックは日本語で女子高生たちと他愛もない話をしながら合間に英語で話をした。「すぐ立川から連絡があった…駅前に出来損ないのハンバーグが転がってるってな。今日ナツが立川に行くってのも聞いてたしな‥。」「俺だと思った?」「いやそのひき肉が3つだって聞いて安心したけどな。最初立川から電話が掛かってきた時は冷や汗もんだったぜ。」「いや3人だったんだよ…。リエとユウカを連れてたんだ。軽率だった。らしくないよな?俺としたことが…。」ナツが悔しそうにうつむく。「いいじゃないか別に。リエとユウカが一緒だった事は問題じゃない。実際ナツが自分の手で守ったんだしな。売春をやるときは女を連れて歩く事だってある。その為に特殊部隊から格闘技を習ってたんだろ?」「ふっ…。エリックには内緒にしてくれって頼んだのによ。まあ基地の中の事でエリックに内緒ってのは無理な話か…。全てお見通しって訳だ?敵わないな…。」ナツが穏やかに微笑んでエリックを見る。  しばらくの間女子高生達と話し込んでいると注文が入り出て行こうとするナツをエリックが引きとめた。「さっきなユウカから電話があったんだ。ナツから電話がくる前にな。『ナツは悪くない。私達が無理について行ったせいでナツに迷惑がかかった。』ってワーワー泣いてたよ。」エリックは入口のドアの横のにもたれ掛かりながらそう言って爽やかに笑う。ナツは黙ったままそんなエリックを無表情で見ている。「仕事はクールに女にはホットに。なっ?ナツ。配達気をつけて行けよ。」エリックがそういってナツの肩を叩く。「あぁ。じゃあ行ってくる。」ナツはエリックと握手をして店を出ると全速力で走り出した。この夜、その後これといったトラブルもなく順調に売上を伸ばした。この夜ナツはまたひとつ成長した。
戻る
目次

 夏が終わった。あんなに暑かった空気も温度を下げ涼しげな風が街を包む。陽の光りも優しくなって根拠のない幸福感が人々の胸を高鳴らせる。街の喧騒に幻想が混じり合って自分本位で利己的な制御される事のない欲望。そんな欲望に合致した品物を容易に用意する。その時から利害は完全に一致し高利率な利益が生まれる。流通の仕組なんて簡単に言えばそんなものさ。合法か非合法か俺達にとってはそんな事どうでもいい。客の望む実態のない欲望を具現化して商品としてゲストに提供する。例えそれが非合法でも…  ナツは自動車整備工場で整備士と話し込んでいる。「コーク?あるよ。グラムイチゴー位だな。」「でもこの仕事ならスピードの方が合うんじゃない?」「今ならグラムでニ…イチハチでいいや特別に。」「エックス?ダメだな。体動かないよ?」「エッチ?あったかい奴?俺はダウン系はあんま勧めないな。」近々警察の取締りが厳しくなるのでアルテッツァに警察無線とナビゲーションシステムとハンズフリーホンのキットをつけた。エンジンと足回りもバランスよく強化されCPUを調整する為のノートパソコンがダッシュボードに埋め込まれた。外観はノーマルなのに恐ろしく速いアルテッツァがこんな田舎のちっぽけな整備工場で造られていた。「OKだな。これでまだ納得いかなかったらまた持って来いよ。セッティングしなおすから。ここまで本格的なチューニングしたんだからちゃんとナラシしろよナツ。耐久性重視じゃないからあんま派手に回すとエンジンがイクぞ。」  薔薇のように真赤なアルテッツァRS200Zエディション改が国道16号線を他の車の間を縫うように疾走する。ナツはギアを6速へ叩き込む。周りを走っている車がまるで止まっているかのように見えた。常識では考えられないような速度で右へ左へ車線を変えながら疾走するナツのアルテッツァ。ナツは楽しくて夢中で車を走らせた。交通量の多い国道を最高速に近いスピードでひたすら南下した。気がつくと夕暮れに染まる横須賀まで来ていた。  「エリック?今横須賀なんだけどさ…今夜こっちで遊んで行きたいんだけど。そっちは頼めるか?」「あぁ構わないよ。全然休んでないしな。注文があったら全部こっちにまわせ。たまにはゆっくり楽しんでこいよ。じゃあなナツ。」ナツは駐車場に車を停めてバケットシートの下から護身用のピストルを出してベルトに挿した。
戻る
目次

 米軍横須賀基地。初めて来たはずのこの場所に奇妙な懐かしさを感じてナツは飽きる事なく金網越しの基地の中の風景をぼんやり眺めていた。考えてみればこの一年と何ヶ月かの間止まる事なくずっと走り続けてきた。こんなに充実した一年は初めてだった。ナツは幼稚園の時父親が面白半分でやらせた大学検定試験の問題をすらすらと解いてしまった。変に思った両親がナツを大学病院へ連れて行き知能検査を行うと驚異的な知能指数を示した。突然変異で産まれた天才少年は何年間かの間大学病院に入院させられ様々な検査を受けた。ナツは新しく発見された新種の動物のような扱いを受け研究熱心な大学病院の教授達から様々な知識を悉く吸収して洗練された教養を身につけた。ナツが10歳になった頃ナツは自分より低脳な大学教授達を馬鹿にしてからかった。大学病院は知能の高すぎるナツの事が手におえなくなり研究を放棄。そういう事情で公立の小学校に戻されたナツに学校へ通う正当な理由や必要性もなくナツが本当にたまに気が向いた時だけ学校に行き学校側もそれを承認した。ナツは父親が大学検定試験を受けさせたあの時からエリックに出会ったナツの運命を変えたのあの日まで自分でも生きてるのか死んでいるのかわからないような人生だった。そんな事をぼんやり考えながら飛び立つ軍用機や暮れていく夕暮れを眺めていると突然携帯電話が鳴った。ナツはふっと我に返りいつもの習慣で素早く着信番号を確認する。『番号非通知』いつもなら液晶画面にこの文字が出た時は終話ボタンを押して相手にしないけれど何故かナツは出なければならない電話だとゆうような予感を感じた。ナツは警戒して神経を集中して通話ボタンを押す。無言。ナツは全神経を耳に集中して相手の声を待った。「『マーケット』ってお前だろ?」どの言葉にもアクセントをつけず余り強弱もなく淡々としているわざと特徴をなくした聞覚えのない声だった。「どちらの番号にお掛けですか?」間髪空けず窮めて事務的で自然に聞こえるような声色でナツはさらりと答えた。「とぼけなくていい。『マーケット』最近有名だもんな?そのスーツ、アニエスbの新作だな?秋らしい綺麗な茶色だ。なかなかのセンスだ。」ナツは安全装置を解除して引き金に指を掛けて目だけで辺りを一瞥した。どこだ?どこで見ている?「それにそのスーツの茶色とあの赤い車とのコーディネート…微妙なコントラストだ。」ナツの引き金に掛けた人差し指に思わず力が入る。ナツは悔しそうに舌打ちする。駐車場で車を降りてからずっと誰かに監視されていた事に気づかなかった自分の愚かさに腹が立った。「お前外国人だろ?母音の使い分けが完璧だよな?日本語も上手いもんだぜ。俺の相棒にも少しは見習ってほしい位だ。どこで憶えたんだ?感心するぜ。クソッタレ!」ナツは突然英語で相手を挑発した。そして今度はフランス語で叫ぶ。「出てこいオカマ野郎!!どうした?おまえなんかに殺られてたまるか!!来いよ。撃てるもんなら撃ってみろ!!」「ゲームオーバー…。」その声が背中の金網越しに聞こえた瞬間ナツは恐ろしく素早い動きで振り向きざまに拳銃を抜いて構えた。人差し指に力を込めて引き金を絞ろうとしたその時。「ナツ!撃つな!!」軍服を着た白人の兵士が両手を上げて笑っている。ナツは突然自分の名前を呼ばれてギリギリの所で引き金を引く指を止めた。素早くトリガーを戻して安全装置をかけ拳銃をベルトに戻した。「ナツ。横須賀へようこそ!」ナツは大きく息を吐いて呟いた。「勘弁しろよ…。」
戻る
目次

 ナツは横須賀基地の入口のゲートへ向かいながらエリックに電話している。「やりすぎだ。エリック…。もうちょっとで人殺しになるところだ。」「大丈夫。スティーブは射撃でオリンピックに出て金メダルをとった事があるから殺られる前に殺る。」 「笑えないっつうの!でもありがとうなエリック。こっちの奴を紹介してくれて…悪戯は余計だったけどな。」「気にするな。楽しんでこいよナツ。」エリックはそう言って電話を切った。  ナツはゲートから出てきたスティーブと固い固い握手を交わした。「痛いよナツ。怒ってるのか?スティーブマーティンだ、よろしく。噂は聞いてるよ。天才。」スティーブがそう言ってナツの肩を叩いた。  ドブ板通りにある一軒のバーでナツはコーラを飲んでいる。スティーブが煙草の煙を吐き出しながら言った。「エリックはナツみたいな奴をずっと捜してたんじゃないかな?」ウィスキーをロックでぐいっと飲みながらスティーブは静かに笑った。「どういう事だ?」ナツはチラッと横目でスティーブを見て聞いた。「アメリカにいた頃俺はエリックと組んで派手にやっていた。自分で言うのもなんだけどいい相棒だと思ってたよ。俺もエリックもお互いにな。エリックは日本に来てからも派手にはやっていないけど横田の周りで商売してる事は聞いていた。」スティーブはまた煙草に火を点けグラスを揺らしながら続けた。「昨年の夏頃エリックから電話があったんだ。奴が嬉しそうに言うんだよ。おまえ以上の相棒を見つけたってな。頭が良くて飲込みが早くあっという間に自分を追越していくだろうってな。毎日が楽しい。そう言って笑うんだよ。」スティーブが穏やかに笑う。「ふうん…。」ナツは無表情で聞いている。「今日実際にナツを見て正直驚いたよ。日本にもたった15歳の天才少年がいた事にな。」スティーブが煙草をもみ消しながら笑う。「もうこの話は終わりだ。せっかく横須賀に来たんだ今日は仕事の事は忘れてパーっとやろうぜ!」そう言うとスティーブは知り合いの女子大生の女の子を電話で何人か呼び出した。  「また来いよ、ナツ。」朝日が昇りだす頃車に乗り込もうとしていたナツにスティーブは右手を差し出した。「またくるよ。」そう言ってナツはスティーブの手をしっかり握ると車に乗り込みエンジンを掛けた。女の子達が手を振っている。ナツは手を振って笑うと車を発進させた。 臨海公園から本町山中有料道路、横浜横須賀道路を抜け豆葉新道で国道134号線に出て海岸沿いを走った。水平線から昇ってくる朝日を眺めながらナツは窓を開けて海風を感じてまっすぐに続く海岸沿いを猛スピードで走り抜けた。
戻る
目次

 夕方、携帯電話の着信音でナツは目覚めた。液晶画面に表示されている番号は見覚えのない電話番号だった。電話に出てみるといつもクスリを買っている八王子の若い男からの紹介だという男からの拳銃の注文だった。電話を切った後八王子の若い男に確認の電話をしてからナツは基地に向かった。エリックのハウスの前にアルテッツァを停めてドアをノックする。「うるさい車になったな?速そうだ。」そう言って笑いながらエリックはナツを部屋に入れた。「どうだった?横須賀。」スーツの上着を脱いで軍仕様の最新型の防弾チョッキを着ようとしているナツにエリックが聞いた。「スナイパーを一人殺しそうになった。」ナツは上着を羽織りスーツのボタンを留めている。エリックはセミオートマチックののピストルと実弾を渡しながらナツを見る。「怒ってるのか?」ナツが無表情でエリックを見る。「冗談さ。」ナツは拳銃の安全装置を確認しながらそう言って笑った。  「これレース用のエンジンか?すごいなこのタコ足のうねり方…。」「八王子のトヨタの工場の知り合いにずっと頼んでたんだ。」ナツは嬉しそうに笑ってボンネットを閉めた。「じゃあ行ってくる。」ナツはそう言ってアルテッツァを走らせた。  待ち合わせ場所の八王子の霊園は人気がなく寂しい雰囲気だった。駐車場に一台の車が停まっている。ナツは少し離れた場所にアルテッツァを停めて電話を掛けた。男が車から出てきてアルテッツァの助手席に乗り込む。ナツは極めて事務的に拳銃の使い方を説明した後男に拳銃を渡し金を受け取った。「理由とか聞かないのか?」男が受け取った拳銃を眺めながらナツに聞いた。「興味ないな。」ナツが無表情でそう答えると男は「そうか…。」と呟いてアルテッツァの助手席から降りた。男が自分の車に戻ろうとすると携帯電話の着信音がなった。「この先の駐車場にあるごみの収集ボックスの中に茶色い紙袋に入った実弾が入ってる。俺が駐車場を出てから5分したら取りに行ってくれ。今マガジンに入ってるのは空砲だから…。」それだけ言うと電話は切れてアルテッツァは走り去った。  福生に戻るとナツは防弾チョッキを返す為にエリックの所へ来ていた。「50で良かったかな?」ナツは銀行の利用明細をエリックに渡しながら聞いた。「上出来だ。」エリックはそう言いながら灰皿の中で利用明細を燃やした。「今夜はどうする?」エリックがナツを見る。「そうだな…久々に八王子かな?」ナツはにやっと笑って立ち上がるとハウスを出て行った。  八王子の街を車で流しているとリエとユウカが歩いていたのでナツはクラクションを鳴らした。リエがそれに気づいて走り寄ってきて助手席の窓からナツに話しかける。「この前ありがとうねナツ。ユウカがこの前の事気にして落ち込んでんのよ、なんか言ってあげて…お願い。」ナツが面倒くさそうに答えようとした時後ろの車がクラクションを鳴らした。「車置いてくんからここで待ってろ。」そういうとナツはアルテッツァで駅前のロータリーのほうへ消えていった。  「何落ち込んでんだよ?ユウカらしくないぞ。」スカイラークでサラダを食べながらナツはぶっきらぼうに言った。「ナツぅ…。」リエがちょっと怒ってる感じでナツを見る。「なんでユウカが落ち込んでんだよ?ユウカは別に何もしてねぇだろ?」「だってぇナツに迷惑掛けたから…。」ユウカがうつむいたまま言った。ナツがチラッと横目でリエを見るとリエは声を出さずに口だけ動かして「お願い。」と言ってウィンクしている。「別に迷惑なんて思ってねえよ。リエやユウカと一緒にいると楽しいし?だから今日も二人の事見つけて停まったじゃん?」ナツがそう言ってユウカの反応を見ている。「だってね…。謝ろうと思って何回もナツのケイタイに電話してるのにつながらないんだもん…。」少し上目づかいでナツを見ながらユウカが言った。ナツは無表情でスーツの内ポケットから一枚のカードを出してユウカに渡した。「番号変わったから。」「じゃあ怒ってない?」心配そうな顔でユウカがナツを見る。「全然。」ナツがそう言って爽やかに笑うと「よかった。」ユウカが嬉しそうにリエに抱きついた。「じゃあ俺仕事あるからまたな。電車あるうちに帰れよ。」ナツはそういって立ち上がると伝票を持ってさっさと店から出て行ってしまった。
戻る
目次

 いてつくような冷たい風に埃っぽい乾燥した空気が肌を突き刺すこの季節がナツは余り好きじゃなかった。少し憂鬱な気分になったけど周りの日常は変わることなく過ぎていく。その夜ラーメンを食べながらナツはエリックに聞く。「明日っていうかもう今日だけど昼間頼んでもいいか?エル。」ナツはエリックの横顔を見ている。「別に構わないよ。」エリックはおかしな箸の持ち方でラーメンを食べている。  次の朝ナツは携帯電話をエリックの番号に転送されるように設定すると紺色のブレザーに袖を通した。学校指定のバッグは部屋中を探しても見つからなかったので手ぶらで出かけた。  気軽に話しかけてくる者、遠くから物珍しげに見ている者など同級生達の反応は色々だった。二年振りに来た中学校にナツは懐かしさは感じず場違いな気がしておかしくて笑った。「ここが本来俺の居るべき場所なのにな。」ナツは小さく呟いた。元々人なつっこい雰囲気なので少し経つとナツは同級生達と楽しそうに話していた。そうしている内に噂を聞きつけた担任の教師がナツを呼びに来た。  進路指導室で担任の教師は慎重に言葉を選びながらナツに話しかける。殆どの教師がそうだが自分より高い知能を持っているナツに劣等感を持っている。そのせいで考えに考え抜いた当たり障りのない言葉でナツに問いかける。「どうしたんだ?大浦。珍しいな…。」ナツは教師が生徒に言う言葉じゃないなと思い少し微笑みながら答える。「ちょっと高校進学の相談に…。」担任はほっとした様子で「なんだそんな事か。大浦ならどこの高校でも奨学生として受け入れたがってるよ。」と言葉を選ばずに間抜けな答え方をした。ナツが無表情で聞いていると教師は自分の犯した失敗に気付いた様子で一生懸命に弁解を始めた。ナツはその教師が哀れに思えて口を挟んだ。「気にしないでください。馬鹿にしてるわけじゃないんです。只素直に喜べなくて…自分でも悩んでるんです。」そういって悩みを相談する振りをして教師の自信を回復させて調子に乗らせた。「そうか、世間では天才と呼ばれてるおまえでも普通の15歳の少年と同じように悩んでるのか?」と担任の教師は心配そうな顔をした。「只他の人より勉強ができるだけで高校への進学の仕方とかそういう社会の仕組みとか何も知らないんです。先生に指導していただかないと…。」自然に見えるような笑顔でナツは笑ってみせた。ナツは担任の教師をうまくおだてながら希望の高校へのいい条件での推薦を約束させた。頭の悪い中学校教師を手のひらで踊らせる事などナツにとっては造作もない事だった。ナツは教室には戻らずに下駄箱に向かった。「ナツ。あんたが学校来ると大騒ぎだね。」ナツにそっくりなかわいらしい女の子が立っている。「アキ…か?」ナツは驚いてその少女を見た。関口秋。小学校6年生のときナツの両親は離婚した。ナツは母親に引き取られ父親が引き取った双子の妹、それがアキだった。双子とはいってもナツとアキは二卵性双生児で顔や性格などは似ていたけどアキにはナツのような先天的な頭脳はなかったが唯一自分の気持ちをわかってくれるナツにとっては掛け替えのないたった一人の妹だった。 「お母さん元気?」ナツとアキは校庭の片隅に並んで座っている。「あぁ元気さ。それよりいつ福生に戻ってきたんだ?」「去年の夏かな?お父さんの仕事の都合でね。」「そうか…。」ナツはアキを見て笑う。「ナツがいるって友達から聞いてたけど全然学校来ないんだもん。」アキはにっこりと笑ってナツの手に自分の手を重ねる。ナツはその手を軽く握って「まぁ色々あってな。」「また格好つけて。少し大人っぽくなったねナツ。なんかあった?」アキはやさしく笑った。ナツは相変わらず鋭いなと思いながら「何もないよ…なんにもな。」ナツが寂しげに笑う。「何それ?疲れきったサラリーマンの人みたいな顔してたよ。大丈夫?ナツ…。」アキがひやかす。「かあさんみたいだな?」そう言ってナツは立ち上がる。「帰っちゃうの?」アキも立ち上がる。「またくるさ…。またな。」そう言うとナツは手を振って校門に向かって歩き出した。「何しに来たんだか…。」時計を見て微笑みながらアキは呟いた。
戻る
目次

 ナツは校門を出ると携帯電話を取り出して転送設定を解除した。ちょうど家に着く頃携帯電話が鳴る。「どうも森田さん。ハイ。そうですね…じゃあ40分位で…ハイ。」ナツはスーツに着替えて駐車場に向かった。  首都高速3号渋谷線用賀パーキングエリアで商品を渡すとちょうど昼過ぎで腹が減ったので渋谷でナツは高速を降りた。昼ごはんを食べてコーヒーを飲んでいると携帯電話が鳴った。福生からの注文だった。ナツはアルテッツァを走らせる。やがて夜になってまた夜が明ける。ナツは心地良い疲れと共にベットに潜り込んだ。  「そろそろどうだ?ナツ。」ある夜エリックは16号沿いのモスバーガーでナツに聞いた。「いい時期じゃないかな…。今夜から俺は歌舞伎町で顔を売るよ。仕入先の確保は頼むぜエル。」ナツはチキンナゲットを口に放り込むと立ち上がった。  平日だというのに新宿歌舞伎町は何千何万もの人が行き来していてまさに眠らない街という感じだった。ナツは手始めにクラブでクスリ関係を売りながら情報を集めた。そのクラブはハウスを中心としたアンダーグラウンドミュージックが掛かっていて巨大なプロジェクションウォールに映像が映し出されている。ナツはしばらく客達を観察して常連らしい一人の若い男に声を掛けた。「クスリとかって買えないの?ここって。」その若い男はナツに驚く訳でもなく普通に答えた。「決まったプッシャーはいないけど?欲しいのか?」ナツは笑って「俺は欲しくないんだけどちょっと興味があってさ。」そのナツの言い方に男はちょっとナツを疑い始めた。「あんたはドラッグとかやるの?」ナツは自然な笑顔で聞いた。「おまえ警察か?そんな訳ねーか。どう見たって17、8だもんな?」その男はそう言って笑った。「名前聞いていいか?」ナツは携帯電話を取り出しメモリーに入れる振りをしながら聞いた。「ユタカだ。おまえは?」ユタカはナツを見る。ナツはスーツの内ポケットから一枚のカードを取り出してユタカに渡した。 ”MARKET 090−○?△?−?○?? 御注文の際はお客様の番号を通知して下さい。なんでもあります。”そのカードには黒地に血のように真っ赤な字でそう書かれている。ユタカはカードを見て驚いてナツを見る。「おまえがマーケットか…。噂は聞いた事があったけどまさかこんな若造だったとはな…。」ナツは唇の端でニヤリと笑い右手を差し出す。「よろしく。」そういってナツはユタカと握手した。
戻る
目次
Google
ウェブ全体から検索 psychedelicbus.netを検索